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おん・すてーじ 真夜中の弥次さん喜多さん 三重 感想メモ

 

遅ればせながら、1年ぶりのおん弥次喜多さんはとてもとてもかわいくて、そしてしあわせで泣けました。
今回の三重の旅もほんとうにたのしかったです。すてきな舞台をありがとうございました。

以下メモです。話の順番どおりでないところがあります。諸々のまちがいご容赦ください。語彙力ゼロです。


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今回も開演前にあらいさんの曲が流れていて、初演や双を思い出しました。今いる現実と、弥次喜多世界の夢とリヤルへの切りかえスイッチのように感じながら聴きました。
そして添乗員の田代さんの案内も3回目で、ほっこりした気持ちになりました。田代さんの癒しの笑顔と携帯電話のくだりでなごみながら、これがのちにつながっているとは思っていなかったので、2回目以降見るたび泣きそうになりました。
今回万ジョンさんが主人公になっているような旨のお話が公演前にあったので、なにか全体をひっかきまわすような役どころなのかなと思っていたのですが、初っ端から「ないー」に笑わされつつ、話が進むにつれて万ジョンさんが非常に大切な軸になっていることがわかりました。
弥次喜多ふたり以外で3作品とも出ているのはおそらく万ジョンさんと田代さんだけなので、余計にこのお二方の役どころが深くて重要なもののように思いました。


まず『弥次さんが喜多さんを殺す』というはじまりが、頭をかなづちで横なぐりにされたような衝撃でしたが(大げさ)、鼓動がなくなっても離ればなれになることなく旅が再開したので、ほっとしながら観ました。
インタビューでは、喜多さんが初っ端から死ぬと書いてあったのですが、まさか弥次さんが殺すと思っていなかったので、最初は血の気が引いて肝が冷えました。
喜多さんが弥次さんを殺したときは血まみれで立ち尽くしていたのに対して、泣きながらティッシュ箱を抱えてるのが弥次さんぽいなと思いました。
殺されてからも喜多さんが一緒にいて動いている状態だったので、喜多さんが殺された瞬間からあのラストまでが夢だったんじゃないかと思ったりもしました。


弥次さんが泣きながらティッシュをぽいぽいしたり、喜多さんが草履のつま先をとんとんしたり、最初から仕草がかわいかったです。
ふたりで手をつないでお決まりの見得をするのは、何度観ても心にしみます。小さな部屋から旅がスタートする弥次喜多は、何度繰り返しても変わらないんだなと思いました。


前回のオープニングもすごかった(そしてかわいかった)ですが、今回のメタルもものすごかった(そしてかわいかった)です。運動量と肺活量とかわいさの応酬というような感じで、緩急もあって、ヘドバンや座礼があって、いい意味で目が回りました。
ダンシングやパンクも歌詞が大変に最高ですが、メタルも非常に泣けました……弥次喜多関連の曲は、動きと曲の感じに気をとられそうになりますが、どの歌詞もめっぽうしんどいことに気づいてぐっときます。


じゃんけんのやつがしりとりのやつになっててかわいすぎて笑いました。弥次さんがいいんならいいんだけどな喜多さんがいじらしくて、このいじらしさに三重でどれだけ泣かされたか分かりません。


フライヤーを見るまで蒲原の宿を舞台でやると思っていなかったので、あの空気感がどう表現されるんだろうと楽しみでした。
「意味がわからない……」と心底思う雰囲気と、弥次喜多がどう絡むんだろうと思っていたのですが、いい意味で 本当に意味がわからなかったです。
経口補水液的なものをごくごく飲んでる弥次さんや、刑事さんの身の上話の歌をものすごく真剣な眼差しで見ている喜多さんなど、全編通して細かないろいろな動作も見応えがありました。
刑事さんの歌が切ない感じでしみじみ聴き入りながら、若かりし頃の刑事さんがひろしを使っていろんな動きをしてるのがおもしろすぎてめちゃくちゃ笑いました。足にひろしがべちっと当たったり素振りの空を切る音がものすごかったりで最高でした。
撲殺キャンペーンのくまさんも、あの夏のじりじりする道ばたの雰囲気を思い出しておもしろくなりつつぞわっとしました。


お花のアイドルさんたちがとてもかわいらしかったです。お花の名前と花言葉になっていてすごいなと思いました。
梅鉢さんのさわやかな感じ、良怪成さんのきらきらなアイドル感、百合緒ちゃんのかわいらしさ、一華ちゃんのひたむきな感じ、みんなすてきでした。そして後半になるにつれてだんだん切なくなっていきました。
申し訳なさそうに笑ってる弥次さんがかわいいのと、PPPHしたり一華ちゃんに照れまくっていたりの喜多さんがおもしろいのと、色々新鮮でした。喜多さんの面倒をみている弥次さんは通常運転で最高だなと思いました。
喜多さんが今回も「人でないもの」に魅入られていて、何となくそわっとしました。死に魅入られている人が人でないものと交流していることを思うと、言いようのない感情になります。
設定が生きてるとすると元役者ということからも何か通ずるところがあったのかななどとも思いました。


シバタさんとタケさんもおもしろすぎました。ダンスのキレが良いのが余計に面白かったです。岩さんもおっしゃっていましたが身のこなしが本当に柴田さんみたいでかっこよかったです。足さばきが颯爽としていてすてきでした。タケさんはひたすらにかわいらしくて、サングラスで見えない目の表情なども見てみたかったです。
一緒に踊ってる弥次喜多の動きのかわいいこと……前回もですが、今回さらにずっと動きっぱなしな感じがしました。とても大変なことだと重々承知ですが、踊りやひとつひとつの動きが全部かわいかったです。
シバタさんがタケさんを撃ち殺すのも最初はほんとに意味がわからなくて、そして木星のくだりで笑いました。3Dメガネとポップコーンの弥次喜多……


田代さんがお出になると無性に安心感があります。
日替わりゲストさん方のはちゃめちゃっぷりにしぬほど笑いました。
生首にフルーチェを食べさせてる男の台詞が、日に日にぞわっとするというかかなしくなっていく感じがしてつらかったです。
おいらが死んだら弥次さんは気づいてくれるかいという喜多さんの声はいつのどの喜多さんのものなんだろうと思いました。
双では弥次さんの愛情をたっぷり受けてるような印象があって、実際そうだと思うのですが(海でのやりとりはありましたが)、三重でやっぱり喜多さんもなにかしらの不安のようなものを抱えていることが改めてわかって泣けました。それでも弥次さんと一緒に行くと決めている喜多さんがたまりませんでした。


マジさんが暗がりの中でずっと喋っているのがうすら怖かったです。(ヤジさん夜食!!もいつか見たいです)
茶屋に戻った時の喜多さんのつかれたような泣きそうな顔と、また一瞬マジさんに戻りかける弥次さんにとても弥次喜多感を覚えました(?)
2度目以降は茶番茶屋で泣きかけました。こんなにも茶番茶屋で泣くことになるとは思ってもみませんでした。
万ジョンさんの虚無の目が何度見てもこわおもしろいです。歌の内容もパワーアップしていました。


たんぽぽが1回で言えない弥次喜多の、なんとも言えないやりとりで和みました。たんぽぽ人間…
うるせえ!!に対してのかわいい…が最高でした。「弥次さんはかっこいいなあ〜!」と言ってた喜多さんや、喜多さんなら何でもかわいいと思ってるきらいのある原作の弥次さんを思い出しました。
遠い海から来たクーとか、チェゲバラとか、絶妙なところをすりぬけるように言葉が流れていくのがくせになります。言葉遊びが連なっていってカーリングになったりもして、弥次喜多は客席の巻き込み方がいつもちょうどいい具合だなと思います。
ダンゴを盗んで逃げる人生を選んだカゲロウの人がどの期もかわいかったです。赤ちゃん期のかわいらしい声とか、青年期の だよね〜 そだね〜だろ的なやりとりとか、おじさん期の台詞とか、そしておじいさん期の歌がうますぎる衝撃が……さすがすぎました。歌詞のおもしろさもふっとぶ美声でした。


シバタさんの銃や撃った弾丸を謎の力で無効にする弥次喜多と、それに振り回されてるシバタさんがかわいらしかったです。
スタッフの方が出てきて戦ってるのや、ドラクエとFFがまざっちゃって弥次さんがしーってされるのや、効果音に合わせて喜多さんが動いてる一連の流れが何度見てもおもしろかったです。
シバタさんというオリジナルキャラが、夢の中のような今回の(いつももだいたいがそうなような気がしますが)三重での話のすじを通しているような、支える軸になっているような感じがしました。靄がかった状態を弥次さんと解き明かしていて、重要な役どころだと思いました。


まどろみの流れの場面は、船頭さんのゆったりとした歌声とふしぎな旋律に癒されました。
日替わりの宿でまた衝撃を受けながら、いろんな宿のいろんなおもしろい人々を通り過ぎていく弥次喜多が、遊んだり眺めたりしている様子にも癒されました。
ゆるやかで穏やかな川の流れの終末、生きて死ぬ一連のさいごの台詞の、ふたりの声色がたまらなかったです。


おカマの熊さんがああいう形で登場すると思っていなかったので、姿が見えた瞬間涙腺がゆるゆるになりました。紅牛や奪衣婆のように弥次喜多を見守っている立場を、三重では熊さんが担っているのかなと思いました。朗らかでうつくしいすてきな熊さんでした。
シーサイド・インで、おじいさんがうえとあやー!と叫んでて吹き出しました。ボーカルさんの歌もかっこよかったです。女の子たちの細かい動きがめちゃくちゃかわいかったです。
『無理っす。』に笑いましたが、自然に対する原作の雰囲気そのままの感じがしました。
熊さんがシーサイド・インの歌をやさしくゆったり歌っているあいだ、飲み物を買ってあげてる弥次さんや飲み終わってから渡す喜多さんや、飛行機を折って飛ばしてる弥次さんや、歌おうとして歌わない眠そうなふたりを見ていて心が和らぎました。熊さんの歌声が、シーサイド・インにいた人たちへの鎮魂のように聞こえて、癒されながらも涙腺にきました。
熊さんが、アンタたちのことマジで祈るからねと笑うところで心臓がぎゅっとなります。優しさや人柄の良さが、熊さんの言動からじんわり伝わってきて心が温かくなりました。
熊さんの周りの空気が澄んだようになって、弥次さんが手を合わせるのを見て喜多さんもちょっと戻って同じようにするのが、なんとも言えない気持ちになりました。


旅を終わらせたくないから茶番を続けるという万ジョンさんの考えを知って、万ジョンさんはどれだけ弥次喜多の旅が大好きなんだろうと思いつつ、旅が終わってほしくなくてあれこれしているという行動の理由にものすごく共感を覚えました。田代さんとともに物語を終わらせないようにと画策して動いていたのがどの時点からの話なのか、初演を見かえすとまた違った視点で感動します。
万ジョンさんは弥次喜多ファンの代弁者というか、やっていることはおクスリをばら撒くといういろいろあれな行動ですが、心情はファンそのもののような気がしました。キリがねえのはイヤだ、いつかは終わるだろという旅途中の台詞もあるのですが、個人的にお伊勢参りに行くと旅が終わってしまう気がして一度も行けてない状態で過ごしてきたもので、万ジョンさんの言葉はぐさぐさささりました。
そしてそれに対して熊さんが言った台詞が全部好きです。三重が終わってほしくないなと思うたびに頭の中で反芻しました。
お花たちを利用してはいたものの、枯れないように大切に思っていたことも分かったり、つけた名前についても意味がありそうなところも万ジョンさんの性格が垣間見えて、今回の万ジョンさんをとりまく出来事がほんとうに心に沁みました。


百合緒ちゃんを殺した殺人犯が(自分を殺した)弥次さんでないことを証明してもらうために、一華ちゃんのところへ行こうとしていた喜多さんにつくづく泣かされました。
喜多さんを殺してしまった手前、アイドルのところへ向かった喜多さんの気持ちがどうなっているのか、宿でのことばに惑わされながらも探しに走る弥次さんにも泣かされました。
愛されるっていいなあと笑ってる喜多さんの、どきどきしねえという台詞から、おクスリを飲んでも大切なものを見失ってないことがわかって、どこかやっぱりどうあってもぶれない弥次喜多ふたりの在り方みたいなものを感じました。いろいろな事象があっていろいろな人がいて、それに巻き込まれて離れたりわけがわからなくなったり殺したり殺されたりしても、心臓が止まっても、お互いにとって大切なものはかわらないんだなと思いました。
一華ちゃんもほんとうに喜多さんのことをおもっていたのがわかって余計に切なくなりました。初演の嘘の弥次さんのことを思い出しましたし、いろいろな人や存在におもわれる喜多さんの戻る場所だったり、ほしい言葉を言ってくれる人は弥次さんなんだなとしみじみ思いました。
「好きな人がいるんでい」を観て聞いたとき、なんだかもう表現できないくらい感動して勝手に涙がでました。


双のさいごでは、弥次さんは気持ちを口にせず形にすることで終わったので、江戸っ子っぽいなあかわいいなあと思ったり、弥次さんのことをわかっていてそうすることをもちかけた喜多さんの殊勝なところがいいなあと思ったりしていました。
それをふまえて、鼓動が戻らなくて力がなくなった喜多さんの体を何度も起こそうとしているときの弥次さんが、痛ましくてまともに見ていられないくらいでした。おめえがいねえとなんにもできねえというようなことを呟きながら喜多さんを抱きかかえる弥次さんが、ただただつらそうでしかたありませんでした。
弥次さんのことばで鼓動がもどって、おせえよ…!と言った喜多さんの表情の中にものすごくたくさんの、でもはっきりとした気持ちがあらわれているように見えました。それを見た弥次さんの呼吸がふるえていたのにも、たくさんの思いを感じました。このシーンに弥次喜多のいままでのすべてが織り込まれている気がしました。
ひらひらとふってきた花びらがきれいで、いろいろな意味が感じられて、夢か現かわからないくらいうつくしい時間でした。


三重では、弥次さんと喜多さんの関係性がいっそう丁寧に描かれている気がしました。さまざまな登場人物がいる中、今回は特にふたりの間柄について掘り下げられていたように感じます。
弥次さんを殺してしまった喜多さんと、喜多さんを殺してしまった弥次さんの対比や、双で言えなかったことばを大切に、ふたりの話の集大成のような形として今回のお話がつくられていて、ほんとうに感無量でした。
充実感のような、心が満ち満ちた感じをいっぱいに味わわせていただきました。
正直、昨年『三重(仮)』の文字を見たときは(仮)であってほしい、三重に着いたら終わってしまう……と勝手に言いようのない変な気持ちになって、(仮)がとれたときにはそこはかとないさびしさを感じていたのですが、三重のお話が いい意味での多幸感が飽和するくらいたっぷりで、観ているあいだも観終えてからも、ただただ無上のしあわせでした。


三重を観てから、初演や双、おん・てぃーびーを見返すとまたいろいろな部分で感動したり、奥深さを感じたりしました。どこが夢でどこがリヤルなのかわからなくなると『それだけがリヤル』の部分の歌詞と旋律が頭を過って、原点だなとしみじみ思います。
この三重を経たおん弥次喜多さんだからこそよけいに、ふたりの出会いの場面やinDEEP後半のお話も見てみたいなと、いつか拝見できる機会があったらいいなと願わずにはいられません。


おん・すてーじ3作、おん・てぃーびーと展開してくださったことに感謝しつつ、またふたりの旅を観られますようにとお伊勢さんのほうにお祈りしながら待ちたいと思います。


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個人的に、弥次喜多三重の前に公開されたこちらの記事
『弥次喜多』連載秘話も満載! 唐橋 充&藤原祐規&しりあがり寿、「おん・すてーじ『真夜中の弥次さん喜多さん』三重」鼎談 | 【es】エンタメステーション
が とてもとても大好きで、公演前も後も むしろいまでも何度も読み返しております。
しりあがり先生と、『現し身の弥次喜多』の唐橋さん藤原さんのいろいろなお話を拝見することができる貴重な記事でした。
三重の内容を思い出したり、この記事を読んだりしていると、やっぱりまたいつか おん弥次喜多さんの旅を覗いてみたいなと思ってしまいます。

この感想メモも書き終えたら旅が終わってしまう気がしてなかなか書けませんでしたが、熊さんのことばを思い出しながら、それでもなんとなく途中のままにして また書いたり消したりを繰り返そうかなと思います。

長々と失礼しました。ほんとうにすてきな旅をありがとうございました。
きょうの弥次喜多はどのあたりを歩いているんでしょうか。