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おん・すてーじ 真夜中の弥次さん喜多さん 双 感想メモ

 

おんすて弥次喜多双 大変おつかれ様でございました、すてきな舞台をありがとうございました。そして、三重(仮)まことにおめでとうございます。

 

 

以下、双のお話の流れにそった感想メモです。弥次喜多原作はじめ他の媒体の話もまざっております。微妙に修正・追記を繰り返しております。

好きにぶちまけた感想です。考察はほとんどありません、思い込みやら妄想やらが入っております。申し訳ございません……色々なまちがい等どうかご容赦くださいませ。
そして語彙力はゼロです

 

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客席で待っている間あらいさんの曲がかかっていて、初演の時をなつかしく思い出しました(cameraやbee、リボン、凸凹を流してから初演を観ると、劇場の空気を思い出せて最高です)。

今回★LUCKY★が流れていて、歌詞はとても双にぴったりなのに終盤の音のカオス感にぞわっとしました……双がはじまる前の選曲で、とてもたのしみな気持ちと、すこしぞわぞわした気持ちとで開演を待ちました。

 

事前のイベントで女装という言葉がちらっと出ていたので(多分)、てっきり蓮と石段の話をやるのかと思っていたところに、席に着いたとたんボンドガール達が悠然と客席の間を縫って歩きはじめたので、初回の衝撃といったらすさまじかったです。
バーバラさんの腹筋とおしりと腰を抜かしそうになる対応、ジョディさんの面白い言動の数々と肌の美しいこと、ローズちゃんのびっくりする衣装とはじける笑顔、パメラちゃんのセクシーダイナマイト美女っぷり、リーのかわいさ全開のアイドル感、最高でした。
ボンドガールのBGMがめちゃくちゃ好きです元気が出まくります。切にサントラをお願いします……

 

添乗員さんが今回はふたりでいらっしゃいました。
田代さんは初演でも添乗員として観客を弥次喜多の世界へ案内してくださったので、登場なさった時の安堵感が半端なかったです。カオスな話とのスムーズな接続といいますか、そのような感じでものすごく安心しました。
福井さんとの掛け合いも面白くて、お二人がとても頼れる兄貴分のような感じがしました。話すとき、福井さんが一瞬呼吸をするのが毎回面白かったです。

 

弥次喜多ダンシング』のイントロが流れた瞬間、おん・てぃーびーからの旅の続きなんだなあと勝手に思って涙腺がゆるっゆるになりました。あの音楽を全身にあびて双がはじまるのを感じられることがまず幸せで、鳥肌が立ちました。

明かりがつくと弥次喜多の姿がぼうっとうかんでいました。おんすての舞台上にふたりがいるのは1年半ぶりくらいでしょうか。ぴかぴかきらきらかがやいて見えました。
ふたりがいっしょにいて、たのしくやりとりしているということに泣けてきました。ガンダーラやら左耳の妖力制御装置やら面白ワードが序盤からちりばめられていて、ふりだしちゃうふりだしちゃうとおそろいの動きをしていたり、TVのカスタネットを持ち出して叩いていたり、ファンにとってはたまらないものばかりでした。
突然喜多さんが、おいらはニセモノだと泣き出すのに対して喜多さんはほんものでいと返し、優しく宥めながら、おクスリやめてずーっといっしょに暮らすんだろう?と語りかける弥次さんの優しさかっこよさに感動しきりでした。


おん喜多さんは個人的に、大人っぽい所作や一周回った現実的な考えはあれど、そこはかとなく幼さももっていて、泣くと弥次さんが来てくれるということを知っていて泣いているように見えるときがあります。おクスリのせいもあるでしょうが、声をあげて泣いたと思ったら泣き止んで、自分から弥次さんを抱きしめてやるよと言ったりして、感情の起伏がマイナス100からプラス100までを秒で行ったり来たりしているのが最高にたまりませんでした。
おん弥次さんは弥次さんの優しい部分がなみなみたっぷりで、手のかかる喜多さんを許しているというか手のかかるところが大好きなようにも見えました。困らせねえでくれ、とよしよししてあげている弥次さんは、おん弥次さんならではというか、この関係性はおん弥次喜多だからこそだなぁと思って泣けました。
いいんだよ見せつけてやれば!の後の「双……」で照明がハートに見えたときがあってにこにこしてしまいました。

 

双オリジナルキャラのヒサオとアケミは見ていくうちに、(超勝手な解釈ですが)千年ムスコのような立ち位置のようにも思えました。最後の方は紅牛や奪衣婆のような役割もしていて、このふたりの物語が軸として、さまざまにぐじゃぐじゃな世界をすっきりとみせてくれていました。
それからループというのもしりあがり先生の世界観だなあと思いました。

弥次喜多が「おいらとおめえと手に手を取って、行くぜお伊勢参り!」という決まり文句で旅に出るのを一体あと何回観られるのかなとも思ったり、川尻さんが仰っていましたが「同じ弥次喜多はいない」という言葉がほんとうに弥次喜多そのものだなと思いました(語彙の消滅)。この決まり文句、何度聞いても涙が出ます。

 

今回の歌詞も川尻さん作詞なのでしょうか、ほんとうに歌詞に泣かされます。

弥次喜多ダンシング』を最初聴いたとき、どうしてもinDEEPの『再会』以降の弥次喜多を思い出して、このかわいいダンスとすてきな曲にこの歌詞をおつけになるのか……と泣きながら感動しきりでした。
『たびたび、たび』体を低く構えていた弥次喜多が、手に手を取って歌って踊り出す瞬間が、最高に贅沢だなと思います。
世界で一人の相棒、いつでも生き返る、という歌詞の弥次さんでまた涙腺ぼろぼろになりつつ、おめえの手を握り返すんだ、で弥次さんを見る喜多さんに、弥次さんが笑顔を向けて、それを見た喜多さんがまたうれしそうな顔をするのがたまりませんでした。
歌やダンスをそつなくこなす喜多さん、さすが元役者だなといつも思い出してにやけてしまいます。そして歌の時だけではないのですが、弥次さんの笑顔がほんとうに、おてんとさんのようです。曲の終わりのポーズも初演と似ていてまた感動しました。

 

霧の中、くさいのを嫌だとか幻滅しただとか思わず、それすら自分たちのやりとりの一部にするのがさすがの間柄です。
ボンドガール達のかわいさ美しさといったら……最初こそ面食らいますが、近くで拝見するとほんっとうに美しくてびっくりしました。接着剤少女はじめ、短い言葉の応酬がたのしすぎました。
バーバラさんは動きがキレッキレでかっこよかったです。「かっちょいい……」が猛烈にかわいかった……諜報員との掛け合いもたのしかったです。

ジョディさんはダンスが上手すぎてさすがでした。キャッチするものが落ちてこないのとか、喜多さんにだいじょうぶですかぁ……と言われて怒るのも面白かったです。

ローズちゃんはダンス中に歩く姿や側転するのがとってもかわいらしくて、歌の発音もアメリカっぽくて、座った姿や声が太くてかっこいいギャップにやられました。

パメラちゃんは美女っぷりがほんとにすばらしくて、所作や笑顔がほんとに女性にしか見えないし、語尾がちゃんと「~~よん♡」に聞こえるのがびっくりしました。

そして元々ボンドガールの中では特にリーが大好きなのですが、松本祐一さん演じるリーがかわいくてしかたありませんでした……台詞をバーバラさんにとられたところや、歌って自分たちを鼓舞しようとするときの言い方がたまらなかったです。

弥次さんがジョディをじょでーと言っていたのがとても弥次さんでした(?)。YES!でいっしょにポーズを取ったり、ジョディにさわって怒られたり、急かされて泣きべそかいてる喜多さんもかわいかったです。


ジェームスボンドが愛原さんだとは夢にも思っていませんでした。格好良すぎました。そ、そんなつもりでは……の声が可憐で、次の瞬間の声がダンディすぎて惚れ惚れしました。

撃たれた喜多さんがうっと脇腹を押さえてゆっくり倒れたときの美しさと、なぜかはにかみながら喜多さんのもとに寄っていく弥次さんのかわいさが謎なのにたのしかった……霧が晴れたZ(めっちゃ笑いました)
この霧と石のお話、わけがわからないけどとても切ないお話だなと思っていたので、心落ち着く音楽とともにガール達の映像が流れて、それがほんとにかわいくて、切なさの中にたのしさもありつつ終わって穏やかな気持ちになりました。

 

愛原さんのアナウンスが面白くてしょうがなかったです。ウグイス豆の水浸しがしりあがり先生らしさ炸裂という感じでした。塀の向こう、ぐるぐる回る盆もしりあがり節という感じがしました。


この じゃんけんのやつ、おん弥次喜多のかわいさとあいまって最高でした。何でもありルールのときの喜多さんの動きが毎回へんてこでかわいかった……パラグアイの続きがあったことに笑いました……蛇……
エンドレスカベー、おちんちん、熊に殴られたみたいな顔、カーニバル!うん!、ヘイヘイヘイミュージックチャンプ、弥次さんは今日もかっこいいなあ~!等の喜多さんの自由度の高さ、それを軽く流したり気にとめなかったりいっしょになって盛り上がったりの弥次さん、双の関係性がほんとうに好きです。
武家様、ノリがよくてかっこよくて、塀の前でぴょんぴょんしている姿がかわいかったです。あんなに殺陣があるとは思っていませんでした。ぐるぐるしている間ずっと大変な手数の殺陣をやられていました。
奥方の美しいこと……衣装がめちゃくちゃお似合いでした。美しいのに舌打ちして去っていくのが大好きです。オオクワガタの人にキレて詰め寄ってたのも最高でした。
目に臼……メビウス!と、自由なのに勘が鋭い喜多さん、いつもいろいろと気づくのは喜多さんだなと思います。メビウスの映像、原作の塀におん弥次喜多+お武家様ですごかった……
武家様が弟に再会するというのがまた切ないお話でした。何ともいえない表情でお武家様を見送る弥次喜多、お元気でと言葉をかける弥次さんと、力なくはにかむ喜多さんで、余計切なくなりました。

 

万ジョンという略称がほんとにおなか痛くなるくらい笑いました……パンフレットやツイッターで……
万ジョンさんの曲が増えてたのにも笑いました。愛されキャラの万ジョンさん、グッズがほしいです。千秋楽でのへんな動きが忘れられません。

その横で、着崩れた喜多さんの着物を直してあげていた弥次さんの甲斐甲斐しさも忘れられません。藤原さんが帯を持ってふらふらしていると唐橋さんが着付けてくれる、という話を思い出しました。
回答で印象的なのは、なかのおおえのおうじFes.です。
そして、万ジョンさんがヒゲを与える役というのに驚きました。

パリピかい!?のくだり、双の弥次喜多はふたりでこういう遊びをするのが多くてかわいくてしかたないです。


糊の里のお話はいろいろ考えさせられるなと思うのですが、弥次さんの 別に愛と肉欲なんざ混乱してたっていいと思うけどなあ……という台詞で万事解決してるのが好きです。
ここでも喜多さんの勘の良さが発揮されてますが、ここで見得を切るとは思っていなかったので、また贅沢なものを観たなあと思います。映画では、旅に出るときに 面白くねえわけがねえ!とかっこよく決めてた喜多さん、双ではかわいさ成分多めなのが最高でした。
松本祐一さんの演技に涙が出ました。何を背負っているかわからなくなってしまった、という男の人に、奧さんはとってもきれいでしたよ、と若奥さんが声をかけるのがたまりません。それを聞いて、見ることができない背中の遺体に優しく触れる姿で、また涙腺がこわれました。
その横で遺体の足に顔がさわってしまった喜多さんに泣きつかれる弥次さんもかわいかったです。
世話役夫婦の体がはがれてお互いの姿を見られたところも、うれしそうな声に感動しました。糊の里はほんとうに心がぽかぽかする終わり方で、ほっとなごみました。

 

そんな中、実は繰り返しているというのが双の弥次喜多の世界で、繰り返しながら次の話へと移り変わっているという面白い構成でした。
糊の里のあとに晩餐会をもってくるという……
『晩餐会』は、インタビューなどで知るまでは正直舞台ではやらないと思っていました。

つめたい空気がふっと流れてきて、真っ暗闇の中、蝋燭の灯りがぼうっと見えたときは、本気で戻さないように口を押さえるのがやっとでした。暗がりに喜多さんの着物の黄色が不気味に浮かび上がって、襖がうすい朱色のように見えてすさまじかったです。
加藤さんの義眼の男は、こわい などという生易しいものではありませんでした。台詞のひとつひとつに、聞くものが総毛立つ何かが滲んでいました。ただでさえ……からの台詞で、ああ晩餐会を舞台で観られてよかったと思うと同時に、全身が凍りました。しぬかと思いました。初日は、爪の間に……のところで笑い声が起きていたような気がするんですが、日が経つにつれだんだんとその笑いもなくなっていったのが余計おそろしかったです。
でかい男が登場してから、ずっと鳴っている低い音の気持ち悪さでかなり精神をやられました。
足立さんのでかい男、ずっと桶がほしいと繰り返し言っている中で、お侍と義眼の男の仲を諫めていたりと優しげな雰囲気もありました。声色の使い方がほんとうにお上手な方だと思いました。
お侍さんが始終空中をそわそわ見渡していて、寒い寒いといいながらお伊勢さんに執着していたのが印象的でした。黒リンパの襖を開けたのが義眼の男でなくお侍さんというのも強烈でした。刀をなかなか仕舞えなくて、刃を直接持って仕舞っていたかわいい仕草が、晩餐会で数少ない、ふっと息をつけるところでした。オミツちゃんと五平さんが足をちぢめて喜多さんを通すところもほんのちょっと息をつけましたが、それ以外は無理でした。
オミツちゃんは、妖艶なあがささんが演じるということもあって、鳥の王のもとにいるオミツちゃんのイメージももちながら観ました。あの狂気は何にも形容しがたいものでした。あ、い、の表現の仕方もなるほどと思いました。
五平さんの、次第に露わになっていく怖さや狂い加減、たまりませんでした。話をうまいことそらしながら、その場にいる人々を混沌に向かわせていくのが、あの笑顔がほんとうに怖かったです。突如すばらしい声で歌い出すのもおそろしかった……後半の回はオミツちゃんも歌ってて恐ろしさが倍増してました……回数を観たので、かろうじて、黄泉魚のハーブ焼きをぶん投げたのが一度だけうまいことお皿にのっていたのを目にすることはできましたが、笑う余裕はありませんでした。
愛原さんのマミちゃんの執念、生きることへの未練がつらかったです。誰でもああいう境遇になったらそうなってしまうんじゃないかと思いました。歌がかわいいのが余計くるっててしんどかったです。
松本寛也さんは弥次喜多と同じかそれ以上にずっと舞台上にいて、でも各登場人物の印象が強すぎてそういう感覚がありませんでしたが、あとから確認したら本当に出ずっぱりですごいです……ヒサオがこの一連の話をわかりやすくしてくれていたようにも見えました。
シロのヒーローっぽさはさすが松本祐一さんというか、シロがつなぎとめてくれたものもたくさんあって、まずイベントでシロが出るということを知ってからどうなってしまうんだということばっかり思っていました。ふたりに立ち向かうシロが本当にかっこよかったです。
そしていちばんびっくりしたのが、『神様』ということでした。ものすごい衝撃が……上のほうで面白い動きをしていましたがおそろしくてしょうがなかったです。この神様については何かいろいろ考えてしまいました。屏風を閉めたのも神様だし……どういうあれなんでしょうか……
晩餐会後半喜多さんの表情がぬけおちたような顔をしていたのが強烈でした。おびえたような顔が次第に無表情になって、誰が何をわめいていても宙を見つめているのに鳥肌が立ちました。メインディッシュにフォークを振り下ろす直前のわずかな間、弥次さんを見つめる様子がしんどすぎました。刺した後の虚無の表情、弥次さんだと気づいたときの感情が戻ってくる様子、晩餐会を観られてよかったとまた思いました。本当に転びながら無我夢中で駆け寄ったり、いろんなものを吸い出されてるときにげぼっと咽せたりしたときがあって、喜多さんにとっても心身ともに疲弊する話だったと思います。
弥次さんが、自分が誰だかわからなくなっているところで無性に泣けました。マミちゃんや神様に翻弄されて、何度も襖の向こうに行こうとする弥次さんが無意識に喜多さんやお伊勢さんを求めているのが、そこをぼこぼこ殴られているのが見ていてつらかった……。

ヒサオに逃げろ、男なら旅に出ろという言葉を伝えているのを、やっぱりどこか千年ムスコへの言葉に通ずるものがあるような気がしながら聞きました。『えにし』の歌詞でもありましたし、おんTVの「おめえらもついてこい」を向けている相手を勝手にそう感じていたので、ヒサオがんばれと思わずにいられませんでした。完全に妄想ですが『弥次喜多パンク』の最後の、「おめえに届け」も同じくそう思いました。
何より盆が回転するというたまらなさ……しりあがり先生のうみだした作品が舞台上で生きて回転していることが本当にすごい、としか言いようがありませんでした。
おいでませ地獄の歌と、いやだと叫ぶ義眼の男の声がいつまでも頭から離れません。
戻ってくるとき、おかえり喜多さん と穏やかな声で呼ぶ弥次さんにほっとしました。
五平さんとオミツちゃんがいるので、今後舞台でどうなるのか気になってしかたないです。

 

『晩餐会』からの『海』は、心から驚いたのと、泣けたのとで、感情がものすごく忙しくなりました。『海』のお話は、おん弥次喜多さんで観られたらいいなとずっと思っていたので、本当にうれしかったです。
「貝をふんだー!!」と大騒ぎする喜多さんがやっぱり良い意味で幼く見えました……どうも おん喜多さんは弥次さんに愛されてることをちゃんと自覚していて、そのことに幸せをちゃんと感じていて、死にあこがれは抱いていても自分には弥次さんがいるということを理解して大好きでいるように思える(当社比)ので、あれほど突拍子もないことを言ったりやったりしても弥次さんは一緒にいてくれるということをわかってる(ように見える)喜多さんが、弥次さんの一言に その愛されてるということが揺らいでいる様子が、心の底からつらかったです。

おん弥次さんは優しくて、喜多さんのことを大事に大切にしているので、ついうっかりあんなことが口をついて出たんだろうかなとも思いつつ……原作弥次さんは割とひどいことを笑顔でしますし、喜多さんもどう思ってるのかはわからないけどそれを許してるというか、ちょっとある面ではあきらめてる部分もあるように見えるので『海』でとうとう拗ねたっていう感じもするんですが(それでも涙を流してて、見てるのが悲しすぎましたが)、おん弥次喜多さんで『海』をやると、弥次さんの愛や優しさにぬくぬくしていた喜多さんが突然足場を失うという衝撃が伝わってきて、破壊力がすごいな……と観てから思いました。軽率に観たいと思ってた自分をビンタしたいです。
なので、眠たげな弥次さんの隣で貝をふんだーと大声で騒ぎ、失われた方が価値がわかると言われて、普段あんなにとんちんかんな行動をしてるのにそれがその一言でぴたっと止んで、でもすぐ問い詰めたりせず黙ってその場を去っていくときの喜多さんの顔がたまらなくつらかったです。すこし笑ってつぶやく顔がかなしそうで、裾にするりと消えていくとき貝を耳に当ててたときがあって、もうその時点で心の内はかなしさでいっぱいになってしまってるんだろうなと思うとしんどかった……
おいらのせいで喜多さんが失われちまったと大慌てする弥次さんも、唐突に現れるプラトンも大好きです。プラトンのおんすて感が大好きです。あああ。という返事やらどこを指してるんだかわからない指や手やら、罪人は初演の修子さんの甲高い叫びを思い出したのもあいまってめちゃくちゃ笑いました。おんすてに出てくる、「よくわからないんだけど良い人っぽい人」が大好きです。
ヒサオと弥次さんのやりとりは、双のまとめというかここに大事なことがぜんぶつまっていて、あたたかい歌もすてきでした。いっしょにいられるうちに気づかないといけない、ちゃんと失うということがどういうことか、先に進むために何が大事か、ヒサオとアケミのシーンは何度も観返したくなります。アケミの最後の手は何かもうさすがすぎました。
弥次さんの弥次さん のかわいさがとんでもなかった……こんなにかわいい童貞があってたまりますかと思いながら、とっても優しくて、弥次さんのことを誰よりもわかってる(当たり前かもしれない)DTさんがいなかったらどうなってたんだろうなと思いました。
一生をかけてもいいと思える大切なもん、が当たり前ですが喜多さんで、失いたくないものなんだということに目頭が熱くなりました。
ひとりぼっちでシャボン玉を吹く喜多さんのさびしさに涙しつつ、未練の唄にも続きがあるんだなと思って笑いました。カスタネットをべちべち叩いたと思ったらリコーダーを適当に吹き始めたかわいさに笑い、迎えにきた弥次さんにもう若くないし、とつぶやきながら呪いの貝までぽいぽいと捨てていくのに泣きました。
優しくて喜多さんを大切にしてるけど、肝心なことを素直に口にするのは苦手な江戸っ子っぷりを弥次さんが発揮しててかわいかった……DTさんが言い合うふたりを愛おしそうに見つめながら叫ぶのが、面白いんだけど泣けて泣けてしょうがなかったです。
海に飛び込んで、珊瑚やらわかめやら言いながら泳いでるふたりがもう仲直りというかお互いに向かい合っていくというのが弥次喜多だなと思いました。おいしい?しょっぱい。だよね。のやりとり……


またふりだしか……と自嘲気味に笑う喜多さんに、きっと先に進んだんだと差し出す弥次さんの手が優しさであふれていました。拗ねる喜多さんに、部屋でもどうにも口にできない弥次さん、口にしなくていいから形にしておくれよ、に対してのありがとよ、という返事にたまらない気持ちになりました。
笑みでゆるんだ口元を満足げにぬぐいながら、歌う弥次さんを見ている喜多さんが、最高にしあわせそうに見えました。
弥次喜多パンク』は圧巻で、しあわせをありがとうございますと思うのと同時に、歌詞でどうしてもinDEEPの概念へ向かう弥次喜多のことを思い浮かべてしまって、こんなにたのしく歌って踊っているのに深淵が垣間見えるようでいくつもの意味で涙が出ました。「おめえに届け」の相手が弥次喜多それぞれのことを指しつつ、いろんな考え方ができるような気もして、目の前に広がるきらきらな登場人物の方々が笑顔で歌い踊っていて、めまぐるしく贅沢な時間でした。

 

歩みをはじめたヒサオに、またな!と送り出す弥次喜多をヒサオが振り返ってふしぎそうな顔をしたり微笑んだりして、ここから先に進んでいくんだということがわかって、心がぽかぽかしました。また拗ねる喜多さんと、ちょっと遠回しに気持ちを伝える弥次さんを見ていると にこにこしてしまいます。誰かの背中を優しくさすって押してあげるのが、真夜中の弥次喜多の大好きなところです。

最後も、いっしょにいくかい?いいのかい、ありがとよ。というやりとりで終わるのが、おん弥次喜多はほんとにすてきだなと思いました。

 


弥次喜多は魂がひとつとひとつでふたつ、という川尻さんのお言葉がほんとうにぴったりで、川尻さんのお言葉で頭の中が整頓されるといいますか、すっと気持ちがまとまる感じがいたします。ここまで原作を大切に忠実にした脚本、そして役者さん方の魅力をたっぷり引き出す演出、原作ファンにも役者さんファンにも、ほんとうにうれしいことだと思います。それを叶えてくださる川尻さんのお力は計り知れません。

いつの間にかいっしょにいなくなることで面倒が巻き起こる、 説明もなく理解する前に話が進んで積み重なっていくという、役者さんやしりあがり先生のお言葉を思い出すと、弥次喜多の面白さがさらに深まっていく気がします。
原作でも映画でも、弥次喜多はなかなかいっしょにそろう時間が短い(特に映画は、いっしょにいる時間のほうが短いのではと思うほどに離ればなれで、ずっとお互いを探しているような感覚でした)ので、余計に切なさやつらさがふえていくようなところもあるのですが、双は離ればなれになることはあれど、いっしょにいる時間がとてもたのしそうでしあわせそうで、古谷さんもブログで仰っていましたが、弥次喜多のことを一生見ていられる、というのがほんとにその通りで、ずっとずっと見ていたくなるふたりでした。

 

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次回は三重(仮)ということですが、しりあがり先生のお言葉をお借りすると『今回はどんなだ!?』と、また思うようななかみになっているのだろうなと思います。真夜中の弥次喜多はどうもお伊勢に着かないんじゃないかというところはありますが、三重という仮称がついているのでいろいろな意味が考えられてものすごくたのしみですし、晩餐会が舞台になったことで、その後の五平さんやオミツちゃんは……と思うところです。

東海道中膝栗毛から216年になる来年の三重(仮)、いちばんあたらしい弥次喜多の世界を味わえる時代にいられてよかったです。
そして、おん・てぃーびー2期もあったらいいなと、三重の続きもあったらいいなと、弥次喜多の旅がずっと続いていけばいいなと、切に願っております。

さらにお伊勢さまに願うとしたら、おん弥次喜多さんで、ふたりの出会いのお話を、いつか観ることができますように。

 

長々と大変申し訳ございませんでした。
たのしくやさしく、奥深い双の旅を、ほんとうにありがとうございました。
きょうの弥次喜多は どのあたりを歩いているのでしょうか。

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